ネガキャン△

ポジティブにいこうとか長所に目を向けようとか小さな幸せを見つけようとか、過去のネガティブなことを思い出して苦しんでる人にそういうアドバイスをする人たちがいる

精神科医だったりカウンセラーだったり

 

うるせぇよ

 

自分はそこそこ過去にそういう思いもしたことがある

そんな簡単で単純なことではないんだよ

遺伝的素質や生まれ・環境は人格形成や精神安定に大きく影響する

それを知らないわけでもあるまいに

アドラー心理学が流行りだしたころのみんなの口癖

あなたが不幸になっているのはあなたが望んでることなんです

本当はそのままでいいと思ってるからなんです

その理由があるんです

 

かましいわ

 

詭弁も詭弁をアドラーという免罪符を掲げここぞとばかりに説法たれてくる

言ってきた人を目の前で刺し殺したらなんという遺言を残すだろう

ああ、これが私の望んだことだ

そう言って逝くだろうか

生まれつきネガティブな人はポジティブになるのにより多くのエネルギーがいる

生まれつきポジティブな人はネガティブから抜け出すのにより少ないエネルギーでいい

その素質を変えろというのは身長の低い人に背を伸ばせと言っているようなもの

ネガティブならネガティブでいいじゃないか

まず自分を認めよう

ネガティブで幸せを見つけるのが下手で人の短所ばかりに目が行ってしまう

そんな自分をそのまま受け入れよう

この世はほとんどのことがどうしようもない事だらけだ

まずそれを認めるところから

アドラーだの勇気だのうるせぇ自己責任論者は捨て置け

 

個人的な見解だけどネガティブな人ほどキャンプや釣り、登山などのアウトドアに向いている

好きかどうかじゃなくて得意という意味

ネガティブというのはリスク回避型の傾向が強いということ

アウトドアは最初失敗の連続だし体力もいる

全てうまくいくことなんてめったにない

だからこそ心に良い

日帰りの釣りやハイキングに一人で挑戦してみてほしい

こんなことしてなんになるんだとか絶対俺には無理だとかもし事故で死んだらどうしようとか不安まみれになるかもしれない

でも最後はもうどうにでもなれという気持ちで行ってみてほしい

そして盛大に大失敗してほしい

その失敗がネガティブな人にはとてもいい

日頃の小さな失敗がどうでもよくなり、自然の怖さや美しさを五感で感じられる

自分から失敗するだろうなと思ってした失敗は存外気にならないものだと知る

またダメもとで何かやろうと思える・・・かもしれない

 

よくネットの記事なんかに自己肯定感の高め方として、小さな成功体験を積み重ねようとか書いてあるけど、成功体験で高まる自己肯定感なんて俺から言わせたらただの張りぼてに過ぎない

 

失敗ばかりの自分を愛せ

ネガティブな自分と肩を組め

その先に自分だけの失敗と成功がある

人生がある

愚者に本

筋ト〇あるあるさんの動画面白いですよね

誰しもが筋トレあるあるさんの動画と芳〇セブンの往復をする時期があると思います

サウナの後の水風呂みたいに

でも僕はもう見なくなりました

理由は頭でっかちになったから

結局色々見て知った気になって満足して終わる

そんな暇あるならバーベルあげろ!体のコンディショニングしろ!ほかに自分だけの経験を詰め!って結論です

賢者は歴史より学び愚者は経験で学ぶと言いますが私は愚者です

というかみんなも愚者だろ全員

この世は愚者ばかりグシャグシャの実の全身愚者人間だらけ

そもそもあのことわざは賢者だから本を読むだけで学べるのであって、本を読めば賢者になれるわけではないから!愚者がほにょんでも学んだ気になって終わりだから

僕は愚者でありたい

というか今の時代経験の方が重き置かれてますよね

大体本なんて著者の一部と会話する代用品でしかない

本というのは編集が入って読みやすくわかりやすくなってる

だが美味しいお菓子に佐藤がたっぷり詰まっていて食べ過ぎると糖尿病になるように、本も編集や構成が入ることで著者の意思や本意が薄れたり曲がったりする。活字だけじゃ精製された砂糖のようなもの

私は玄米を嚙みたい

経験こそが人生の玄米です

アインシュタインの書いた本読み放題なのと本物のアインシュタインと10分話せるならどっち選ぶかって話ですよ

現代社会は情報の希少性がなくなって様々なものが代用品とされるようになった

動画も写真もいろんな場所のいろんなものを見れるけれど、実際に行ってみた方が絶対に楽しいし経験になる。学べるはずなんです。

それをパソコンの前でボケーっと動画見たくらいで知った気になって満足する

愚かだとは思いませんか?

百聞は一見に如かずです

たとえ絶景を見るだけのために2日かかろうと、ウン10万かかろうと、youtubeの動画を何千万本見るよりも楽しくて濃厚な経験になる

この世は代替粗悪品や精製食品であふれかえっている

砂糖とカフェインは手軽に摂れてすぐに元気になれるから昔のイギリスで大流行しました

でもその元気は次元付きでまやかしだった

手軽に便利に楽に

それが人を病気にする

心も体も

心のダイエットをするにはそれらのものから離れる事

行動して自ら経験すること

インプットの100倍アウトプットすること

それは今の時代だからできる事であり、昔から大切にされてきたことでもある

君よ、玄米を食え!

人間よ、サバンナと共にあれ!

最近狩猟に挑戦してみたいけど大変なんだろうな・・・

 

おしり

無敵の人が今後も増え続けることが確定しているわけだが

人とのつながりが希薄になる一方で、島国民族的な陰湿さはそのまま残った
欧米と従来の日本とのお互いの悪いところだけが人間関係に反映している

原因は労働形態と社会の変化のスピードに国民の価値観がついてこれてないこと

過度に保守的な人間の遺伝子がばらまかれ続けた結果環境の変化を過度に嫌う人間ばかりになった
現体制が崩壊するまで残念ながら変わらないし無敵の人は社会から剪定され続けると思う

成功者のオ〇ニーをありがたがる人達

すべての結果は運と才能。
 
残酷な真実だ。
才能の有無すら運のうちと捉えるなら、運が全てだとすら言える。
 
近頃成功者の中に
「私はADHDでしたが成功しました!」
とか
「過去に多動症でいじめられていました!」
だのという枕詞でハンデをアピールしている人が多すぎる。
きっと共感を得たいのだろう。
 
しかし現実は様々な形で誰もがハンデを背負っているものだ。
家庭環境や貧富、周囲の人間関係、時代や国・宗教…。
そう言ったものを抜きにして、「私はこのハンデを背負って成功しました!」
 
うすら寒い。
自分が最も恵まれた環境に生まれた人間の一人であるという自覚がない。
”この結果は、(すべてではないにしろ)自分の意思と力によるものだろう”
と勘違いしている。
 
とんだ勘違いだ。
 
ADHDだろうが一日18時間努力しようが何しようが、最終的には運と才能で結果が出るかは決まる。
自分と同じだけ努力しても成功しない人間がいるのを信じられないのだ。
決定的な想像力不足。視野が狭いと言わざるを得ない。
成功者にこの事実を告げると、決まって怒り出す。
 
「私の成功は私自身の努力によるものだ」と。
 
何故だろう。
 
理由は彼らが自分を肯定するために、得た結果から、彼ら自身が理由を跡付けして根拠を裏付けるためである。
要するにポジショントークであり、再現性は無い。
 
努力や根性を否定するわけではない。
結果が担保されるわけではないということだ。
 
成功者の「努力さえすれば君もこうなれる!」というツラにはもううんざりだということである。
 
しかし現代では、このラッキーマンの根拠のない持論をありがたがる人たちが多すぎる。自らも同じようになれると思っているのだろうか?
ほとんどの人間がこう考えているのではないか。
 
「実際に自分が真似をして成功するかはわからないが、その可能性は私の中にまだ存在する。」と。
 
ようするに”まだ俺は本気を出していない”と自分のプライドを守っているだけである。
 
そしてほとんどの人は行動に移さない。
 
面倒くさい。時間がない。金がない。他の事をしたい。
一番の理由は
 
「頑張って成功しないのが怖い」
 
徒労に終わる。すべての努力が否定され、他人(成功者)より劣っているという結果が残る。その結末だけは容認できないということである。
 
そして今日もネットサーフィンをし、自己啓発本を読み、
どんな人間(自分も含め)でも成功できるんだなぁという安心感で気持ちよくなるのである。
 
一歩も家から出ずに。