成功者のオ〇ニーをありがたがる人達

すべての結果は運と才能。
 
残酷な真実だ。
才能の有無すら運のうちと捉えるなら、運が全てだとすら言える。
 
近頃成功者の中に
「私はADHDでしたが成功しました!」
とか
「過去に多動症でいじめられていました!」
だのという枕詞でハンデをアピールしている人が多すぎる。
きっと共感を得たいのだろう。
 
しかし現実は様々な形で誰もがハンデを背負っているものだ。
家庭環境や貧富、周囲の人間関係、時代や国・宗教…。
そう言ったものを抜きにして、「私はこのハンデを背負って成功しました!」
 
うすら寒い。
自分が最も恵まれた環境に生まれた人間の一人であるという自覚がない。
”この結果は、(すべてではないにしろ)自分の意思と力によるものだろう”
と勘違いしている。
 
とんだ勘違いだ。
 
ADHDだろうが一日18時間努力しようが何しようが、最終的には運と才能で結果が出るかは決まる。
自分と同じだけ努力しても成功しない人間がいるのを信じられないのだ。
決定的な想像力不足。視野が狭いと言わざるを得ない。
成功者にこの事実を告げると、決まって怒り出す。
 
「私の成功は私自身の努力によるものだ」と。
 
何故だろう。
 
理由は彼らが自分を肯定するために、得た結果から、彼ら自身が理由を跡付けして根拠を裏付けるためである。
要するにポジショントークであり、再現性は無い。
 
努力や根性を否定するわけではない。
結果が担保されるわけではないということだ。
 
成功者の「努力さえすれば君もこうなれる!」というツラにはもううんざりだということである。
 
しかし現代では、このラッキーマンの根拠のない持論をありがたがる人たちが多すぎる。自らも同じようになれると思っているのだろうか?
ほとんどの人間がこう考えているのではないか。
 
「実際に自分が真似をして成功するかはわからないが、その可能性は私の中にまだ存在する。」と。
 
ようするに”まだ俺は本気を出していない”と自分のプライドを守っているだけである。
 
そしてほとんどの人は行動に移さない。
 
面倒くさい。時間がない。金がない。他の事をしたい。
一番の理由は
 
「頑張って成功しないのが怖い」
 
徒労に終わる。すべての努力が否定され、他人(成功者)より劣っているという結果が残る。その結末だけは容認できないということである。
 
そして今日もネットサーフィンをし、自己啓発本を読み、
どんな人間(自分も含め)でも成功できるんだなぁという安心感で気持ちよくなるのである。
 
一歩も家から出ずに。